波佐見焼の歴史

波佐見焼の歴史

波佐見焼の始まり、発展、江戸時代の波佐見焼、くらわんか碗としての波佐見焼については下記の通りです。

波佐見焼の始まり

慶長4年(西暦1599年)、波佐見町村木の畑ノ原、古皿屋、山似田の3か所で焼き物づくりが始まりました。初めは連房式階段状登窯で施釉陶器を生産していましたが、その後、村内で磁器の原料が発見され、次第に染付と青磁を中心とする磁器へ移行しました。

波佐見焼の発展

大村藩の特産品となり、江 戸後期には染付の生産量が日本一になりました。こうして波佐見焼は、染付・青 磁ともに大生産地に発展しし、大村藩は皿山役所を設置し、磁器の生産に力を入れました。

江戸時代の波佐見焼

主に「くらわんか碗」と呼ばれた日常食器を製造していました。唐草模様を筆で簡単に描いた丈夫で壊れにくい、厚手で素朴な製品は波佐見焼の代表になりました。波佐見焼は、巨大な連房式登窯で生産され、手頃な価格で全国へ、 また、海外へと販路を広げていきました。

くらわんか碗

淀川を往来する大型船に近寄り、「餅くらわんか、酒くらわんか」と言って乗船客に飲食物を売っていた主に枚方地方の小舟のことを「くらわんか舟」といいました。「くらわんか舟」は、貸食船(煮売船・にうりぶね)とも呼ばれ、公式には「茶船」と呼ばれていましたが、「くらわんか舟」「食らわんか舟」という俗称が定着しました。
この「くらわんか舟」から差し出される碗は、揺れる船の上でも転びにくいよう、厚手で重心が低いことが特徴でした。船中で料理を食したのちに数をごまかすために川に捨てる客もいました。昔はくらわんか碗に、ご飯にかぎらず、汁物などをよそったり、酒を飲むことにも使用されていました。
土もの風の少し粗い素地に簡素な絵柄をほどこした、手頃な価格のくらわんか碗は、庶民の人気を得ました。磁器碗は高級なもの、庶民には手が届かないもの、という当時の常識を変え、日本人の食文化に大きな影響を与え ました。